大島、大塚、大波、岡部夫妻、金井、兼高、川島、君塚、小圷、菅井、高橋京子、
高橋佳更、対馬、坪山、寺井、中岫、中村、長谷川、渡辺正志、渡辺夫妻
鋸山 4月6日
浜金谷に集合、電車にフェリー、車と思い思いの交通機関で集まってきた。
歩いて登るグループと大塚、兼高、中村、渡辺会長の4人はロープウェイに分かれ出発
とりあえず片道のキップを買いロープウェイに乗り込む。誰も地図を持っていないことに気づきロープウェイのパンフレットをもらう。降りると目の前に山頂の看板、ここが山頂?パンフレットの地図は山頂も示していない日本寺周辺で全く役に立たなかった。
700円の拝観料を払い百尺観音、地獄のぞきに行って下山をした。管理所の人に急で滑りやすいと声をかけてもらった。石段も壊れていてそのうえ濡れて滑りやすい、顔を見て注意してくれたのではないようだ。ゆっくりと休みながら下るが長い階段が続く。
鋸山はあちこちにあるがどこもアップダウンの大変な山でこの千葉県の鋸も侮れないなと思いました。
祝いの宴
コップにビールを注ぎはじめたので会長挨拶の挨拶からとはいかず乾杯の音頭から始まり、次の会長挨拶はみんな聞いていたのかな、海の幸の料理にお酒、おしゃべりは盛り上がる。40周年企画メンバーによるサプライズ、市川さんデザインのTシャツのプレゼント。行きたい山の発表してもらう。
二次会は別室で、あんぺいじの足跡がわかるようにと会報1号からをファイルに収めたものと写真などが用意され懐かしんだり、10年前、20年前は若いね、この人だれ
山の話は尽きない、山の数だけ話がある。Tシャツを着ての集合写真を撮りました。
あんぺいじ40年
40年前、会の発足時はみんな40代、50代で若かった。体力も好奇心もあって雪山、バリエーション、岩登り、沢登り、テント山行が当たり前でした。
誰が言ったのか「ハイキングからチョモランマまで」チョモランマに登った人はいませんがかもしか山行というのもありました。夜中から歩き始め、ヘッドランプを付けいても足元が見えなくなるという眠気と戦いながら、10時間以上歩くという苦行です。
またハイキングに鉄板とお酒を持っていき山頂で飲み会、登山者がいなくなったころに、ほろ酔いで下山。テント山行ではおしゃべりが過ぎて「うるさい」とおごられたことは数知れない。そんな人が現在に至っているのだから。大人になった?いえシニアになったのです。安心、安全に登山するようになりました。あとから入ってくる人と刺激しあってどの様に成長していくのか50周年も楽しみです。
兼高
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