初めて来たのは、もう30年以上前。
明るく広いキャンプ場、さらに広いクライミングエリア。あちこちにそびえたつ岩。
リーダーの中岫さん、東原さんに従ってトライするが、難しい。
今までは沢登りばかりだったから、「何をつかんでも、登りゃあいいんだ」だったが、ここではそんな選択肢はない。レイバックやらジャミングやらスメアリングやら、岩場を変えるたびに新たなテクニックが出てくる。
登り切って振り返った時に広がる、草原の白樺林と個性的な岩峰の景色は格別でした。
それから、続けて来るようになった。
その中で2004年、清野夫妻と東原さんと来た時。
夕方、東原さんがトイレに行って、だいぶ時間がたって「濡れて」帰ってきた。水道ホース蹴っ飛ばしたようで水が噴き出してたので直してたんだという。翌日クライミングを終え、帰宅途中のラーメン屋のカウンター。テレビで「昨日の地震で長野県の被害は」と言ってる。東原さんが「あのホースは地震でだったのかも」と言う。「そう言えば揺れてた」、「いや~揺れてると思ったのは、酔ってたからだろう」 なんて話をした。
中越地震のあったことを、そこで知る。
2005年、夏合宿を廻目平でと言うので、市川さんと東沢を登って稜線でテント泊。
翌日、金峰経由~廻目平。みんながクライミングやハイキングに熱中して留守宅の、10テンのクーラーのビールをいただく。(空き缶は見つからないようにした)
翌朝、高橋佳更さんも一緒に3人でバスに乗り信濃川上駅へ、そして小海線で小淵沢駅。そこで市川さんが、宝くじでも当たったのか、高原弁当をご馳走してくれた。
たっぷりのキャベツの上にトンカツがのっていた。
今回、土曜日の午後の散歩の時に、小川山レイバックは入口がわからず、見えてるマラ岩は川を渡るのであきらめたが、ガマスラブが変わらずにあった。みんなで寄り道をし大きなスラブの下をトラバースしたり脇を登ったり。手がかりなど無さそうな岩にかすかな凹凸。それがホールドたって、どうやんのとか、小さな穴に指一本入れて支点にして…東原さんが「ナベさんクライミングは頭でやるんだよ」なんて言い放つ。当時の余韻をと手のひらを岩に付けてみる。ふと見渡してもクライマーの影はなく足元には草。
「夏草や、兵どもが夢の跡」(兵じゃないけど。それに「今はもう秋」)
おかげさまであの頃の思い出にも触れることができました。ありがとうございました。 記 渡辺孝志
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